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ボイスドラマの内容
登場人物
- 娘(25歳/5歳)・・・看護師/名古屋市内の総合病院のERで働く
- 父(56歳/36歳)・・・一級建築士/東三河地区で不動産会社を経営
Story〜「豚汁の香り〜食卓より愛をこめて/前編」
<シーン1/娘25歳/父56歳> | |
娘: | キッチンカウンターからリズミカルな包丁の音が聞こえてくる。 まるでショパンの子犬のワルツのように楽しげな長調で・・・ キッチンに立っているのは、昔から変わらない、笑顔のパパだ。 私が実家に立ち寄るのは・・・そうか、2年ぶりかぁ。 パンデミックの真っ最中に新人看護師となった私は 世の中が落ち着くまで、盆も正月もなく働いた。 |
父: | 「おまえの顔を見るのなんて、5年ぶりくらいじゃないか?」 |
娘: | 「失礼ね。2年ぶりよ・・・」 |
父: | 「パパ、たまたま今日は豚汁の準備していたから・・・ ラッキーだな」 |
娘: | ウソばっかり・・・ ママから聞いてるんだよ。 パパ、豚汁の準備だけは毎日してるんだって。 |
<シーン2/娘5歳/父36歳> | |
娘: | 自他共に認めるパパの得意料理は、”豚汁”。 その一番の支持者は昔から私と決まっている。 朝も昼も夜も、豚汁を作ってほしいとおねだりする私に、 パパは飽きもせず作り続けてくれた。 「だって、パパの豚汁毎日食べたいんだもん」 |
父: | 「そうかそうか、じゃあお前の大好きなさつまいもを、 たっぷりと入れてやるからな〜」 |
娘: | 「やったぁ!」 |
父: | 「さつまいもは、豚汁の味をまろやかにして、甘〜くしてくれるんだよ」 |
娘: | 「ふうん」 |
父: | 「お肉はもちろん、黒豚だぞ」 |
娘: | 「わぁ〜」 |
父: | 「お前が苦手な脂身は、 ダシが染み渡ったらとり除いてやるからな」 |
娘: | 細切りにした黒豚。 皮をむいて薄切りにしたさつまいも。 これに、薄切りのにんじんとしいたけ、 縦にせん切りしたごぼう、 一口大のこんにゃくと油揚げ、 小口切りの長ねぎが色を添える。 これがパパお手製の豚汁のレシピだ。 |
父: | 「さあ、できたぞ〜。 お前のためだけに作った、特別な豚汁だ」 |
娘: | 「わ〜い!」 |
父: | 「ほかほかのごはんもいっぱい食べるんだぞ」 |
娘: | 「はぁい!」 |
父: | 「さあ、いっしょに食べよう」 |
娘: | パパは食卓で必ず私の右前に座る。 さほど大きくはない長方形のダイニングテーブル。 長辺の真ん中に座る私と、対面の少しキッチン寄りに座るパパ。 どうしていつもそこなの、ときいたら、 |
父: | 「この位置からお前を見ていたいんだよ」 |
娘: | と、即答してくれた。 それは20年前もいまも変わらない。 |
<シーン3/娘25歳/父56歳> | |
父: | 「さつまいもも黒豚もちゃあんと入ってるからな」 |
娘: | パパの背中を見ながら、私は食卓の一番前で豚汁を待ちのぞむ。 |
父: | 「さ〜あ、できたぞ。いっしょに食べよう」 |
父: | 「今日はなにをしていたんだい?」 |
娘: | 「ぷっ・・・」 |
父: | 「なんだ、どうしたんだ?」 |
娘: | 「変わらないなあ、と思って」 |
父: | 「なにが?」 |
娘: | 「パパ、昔から豚汁を食べるときは、 必ず最初に、今日はなにをしてたの、って私にきいてたもん」 |
父: | 「そうだったかな」 |
娘: | 「それに、その場所」 |
父: | 「場所?」 |
娘: | 「必ず私の右斜前に座る」 |
父: | 「そりゃそうだろ。お前に一番近い場所だ」 |
娘: | 「そうかなあ」 |
父: | 「そうさ、それにお互いに顔を見ながら食べた方が美味しいじゃないか」 |
娘: | 「うふふ、そうねぇ」 |
父: | 「さあ、食べよう食べよう」 |
娘: | 「ねえ、パパ」 |
父: | 「なんだ、あらたまって」 |
娘: | 「あのね・・・話があるんだけど・・・」 |
父: | 「う、うん」 |
娘: | 「実は・・・パパに会わせたい人がいるんだ・・・」 |
父: | 「え」 |
娘: | 「あ、いきなり・・・だった?」 |
父: | 「あ、いや、そ、そうか・・・お前ももうそういう年頃だもんなあ」 |
娘: | 「いやだ、パパ。そんなんじゃないから・・・」 |
父: | 「よ、よかったじゃないか」 |
娘: | 「もう〜、そんな、あらたまった話じゃないのよ。 ただ、パパに会ってほしい人がいるだけ」 |
父: | 「どんな人だい?」 |
娘: | 「ふふ。やさしい人。 私のことをなにより大切にしてくれる人」 |
父: | 「そ、そうか〜。よかったじゃないか。じゃあ一度うちにも連れてきなさい」 |
娘: | 「うん。そうする」 |
父: | 「なんで・・・今日は連れてこなかったんだい?」 |
娘: | 「だって、今日はパパの豚汁を、パパと食べたかったの」 |
父: | 「そうか・・・」 |
娘: | 「それに、パパのリズミカルな包丁の音が長調から短調に変わるのは いやだったんだもん」 |
父: | 「なぁに言ってるんだ」 |
娘: | 「うふふ」 |
父: | 「パパもその人に早く会ってみたいな」 |
娘: | 「ほんとう?無理しなくていいのよ」 |
父: | 「無理なんてしてない」 |
娘: | いつだって、この食卓を中心に、豚汁の香りと笑い声が響きあう。 私の心を優しい思いが満たしていった。 |